金曜まで会社員だった。4年と少しいたのかな。気づけば部長になっていた。それも今週までのこと。久方ぶりのフリーランスである。これからどうなっていくのか、自分でもよくわからない。ただ、えいやと跳んでみると、新しい風がやってきてどこかへと運ばれる。不思議なことにいつもそうだ。
Twitterで自分よりもいくらか若い編集者が Slackとメールアプリを連動させるプラグインについてつぶやいていた。危ない。直感的に思った。その編集者を批判したいのではない。彼にはきっと必要なツールなのだろう。あくまで我が身に降りかかる危険として、である。実際には何も降りかかっていないのだけど、そうした過剰な「利便性」にかえって時間や視力や集中力を削がれることが、ずっと気になっていたから。
そしてこれまた直感的に、日記を始めてみようと思った。いいねもハッシュタグも、タイトルすらもいらないやつ。
今日は銀座の観世能楽堂で「三人の会」を見た。シテ谷本健吾の『求塚』が素晴らしい。後場のよいところで、誰かのスマホ着信音がうっすらと鳴った。だがそれすらも菟名日処女の受難として、 囃子のリズムとともに不思議な高揚感をもたらす。
亀井忠雄の弩級の大鼓に対峙しつつ優雅さを失わない坂口貴信。美しい『融』はシテ川口晃平。野村萬斎・裕基親子の格調高い『昆布売』もよかった。
夕食時、ずいぶん前に録画した故やなせたかしのインタビュー番組を見る。「運・鈍・根」が大事、と御大。そうそう、鈍。このタイミングで必要な言葉だ。
欲しいものは手に入らないけど、何度かトライすれば、必要なものは手に入る人生かもしれない。これはローリング・ストーンズ。