2019-09-06

昨日の日記でさらっと書き流してしまったが、出版社カンゼンの前身はレッカ社という編プロで、私も若い頃、その関連会社に勤めていたことがある。2000年代初頭の話だから、もう15年以上経つ。いまは役員になっている坪井さんが、まだ若手だったという(当時、面識はなし)。そして、いま残っているのも坪井さんと社長の宇佐美さんくらいだ。

昨夜、そんな昔話をしていたら、忘れかけていたエピソードが出てくるわ出てくるわで、私の出版界のスタートはエロ本や実話誌時代だと認識していたけど、案外このレッカ社の関連会社でインストールされたものは大きいと思った。いや、レッカ社というよりも、Tという上司。このTがとにかく変わり者で、でも変わり者にありがちな、一片の真実を時折感じさせる人物だった。
一度、『クイック・ジャパン』に寄稿したコラムに、「フレディ」という名で登場させたこともある。以下、その原稿。

「シリコンバレーで思い出す」

仕事をコロコロ変えてた20代、自分でもたまに忘れてるのだけど、1年間ほどIT系広告代理店で営業をやっていたことがある。「IT」なんて言葉、たぶんもう死語なんだろうな。ノンストップクラスター、カーネル2.4、ナレッジドキュメント……よくわからない言葉を並べてては、大量の販促物を作り、売りつけたものだ。プログラマー出身の変わった男がボスだった。彼は当時40代半ばぐらいか。フレディ・マーキュリーに似ていたので、ここでは仮に「フレディ」と呼ぶ。なんでフレディの話をするかというと、『シリコンバレー』を見ていると、彼のことを思い出すからだ。

『シリコンバレー』とは、アメリカはHBOの連続ドラマで、タイトルどおりシリコンバレーのハイテク業界で奮闘する新興企業の若者たちのすったもんだを描くコメディタッチの物語だ。いわゆる成功譚ではない。「スタートアップあるある」を散りばめながら、内気な主人公・リチャードを筆頭に、アクの強いギークたちのしょうもなく、ときにぶっ飛んだ日常が、ひたすら面白く展開していく。製作は『ビーバス&バットヘッド』のマイク・ジャッジ。ゆえにギャグの弾数もテンポも抜群である。

好きなエピソードを挙げればキリがない。リチャードがプログラムを記述する際のブランクに「タブ」と「スペース」のどちらのキーを使うかで揉めて彼女と別れたり(ちなみにリチャードはタブ派)、ジョブズかぶれの取締役アーリックが、クールな会社名を考えるために瞑想とは名ばかりのドラッグ決めまくりで、あげく「未来のオレを見つけた」と言って見知らぬ小太りの子供を連れて帰ってきたり。で、どっかで自分はこんな人たちに会った気がするぞ、と記憶をひっくり返してみれば、そうだ、フレディだ。

フレディはすべての基準を「商社」に置いている男で、なにかにつけ「商社ではこうやっている」とか「商社ではそうはしない」と言っていた。商社に勤めた経験があるのかどうかは知らない。そもそも「商社」とは住商か? 物産か? 丸紅か? あるいはどこかのベンダーか? それすら分からない。ただ、フレディが教えてくれた商社ルールの一つ――「クリアファイルに書類をとじるときは、片面にスケジュール表、もう片面に見積書が見えるようにとじろ」は、いまでもけっこう役立っている。

それだけならまともに聞こえるかもしれないが、さにあらず。独り言をつぶやきながらデスクで折り畳みナイフを研いでいるような男なのだ。毎朝、遅刻ばかりしていたぼくは、ある朝フレディに「なぜ定時にこない!?」とそのナイフを突きつけられた。いまでもそうだが、ぼくはイヤなことがあると瞬時にスイッチがオフになるという癖(へき)があり、そのときも立ったまま寝そうになって、彼をさらに刺激してしまった。幸い、刺されはしなかったが。

こんなこともあった。時まさにアメリカがイラク空爆を決行した時期で、アメリカ各地で同時多発テロが勃発。ここ日本でも取引先クライアントのインテリジェンスビルに、軒並み金属探知機が導入されていた。私とともに打ち合わせ先に赴いたフレディが、まんまとその探知機に引っ掛かったのだ。警報がピーピーと鳴るなか、ラグビー選手みたいなガタイの警備員がフレディのカバンを探る。取り出されたのは、例の鋭利なナイフだ。周囲騒然である。『シリコンバレー』ファンにしか通じない言い方で恐縮だが、つまりフレディは、ギルフォイルとディニッシュを足して2で割ったような男なのだ。

ただいま第3シーズン終了の『シリコンバレー』。本国ではすでに第4シーズン放映も決まったらしい。かの国のニュースを見ていると、シリコンバレー周りは国家vsハイテク系多国籍企業の様相も見せ始めており、今後の展開は予想できない。そしてフレディはいまどこに? まだ、あの会社でナイフを研いでいるのだろうか。

初出:『Quick Japan』130号