郵便ポストに大手新聞の拡販チラシ。「東京2020観戦チケットをGET」の文字。どんな気持ちで折り込んだのだろう。東京1964大会と東京2020大会を数字で比較してみました、という図表もあって切なさ倍増。切なさ、というかメランコリー? ベンヤミンの歴史哲学テーゼがこんなにも切実に響く時代がくるとは。
「新しい天使」と題されたクレーの絵がある。それにはひとりの天使が描かれていて、この天使はじっと見つめている何かから、いままさに遠ざかろうとしているかに見える。その眼は大きく見開かれ、口はあき、そして翼は拡げられている。私たちの眼には出来事の連鎖が立ち現われてくるところに、彼はただひとつ、破局(カタストローフ)だけを見るのだ。その破局はひっきりなしに瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねて、それを彼の足元に投げつけている。きっと彼は、なろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。ところが楽園から嵐が吹きつけていて、それが彼の翼にはらまれ、あまりの激しさに天使はもはや翼を閉じることができない。この嵐が彼を、背を向けている未来の方へと引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ。
ヴァルター・ベンヤミン (訳・浅井健二郎)「歴史の概念について」