2020-03-25

朝、コーボーが食べているオレンジを一切れもらって口に入れたら、なにこれ? 美味い! オレンジってこんな感じ、というこちらの予想をぶっちぎる美味さだ。妻によれば、オレンジではなくみかんで、「せとか」という銘柄らしい。ふるさと納税、いろいろ問題ありつつも、感謝感謝やで。ググってみると「柑橘の大トロ」なんて異名も出てきて、食べ物を食べ物で喩えるのはどうなんだ。でも、言いたいことはよくわかるぞ。

そういえば以前、都築響一さんのメルマガに、私が食べてきたなかでも極上だったみかんの思い出を書かせてもらったことがあるので、転載。「二度と行けないあの店で」というお題のもと、寄稿したエッセイです。

Neverland Diner 二度と行けないあの店で
「佐野さん、あのレストランの名前教えてよ。」

食のことなんておざなりだった20代前半、1年間だけ築地市場で働いていたことがある。
きっかけは……なんだったっけ?
4年ぐらい付き合った彼女にフラれたから、新卒で入った映像制作会社をやめたかったから、いずれにせよたいした話じゃなかった。
立川流の落語家になりたくて、当時の前座は河岸修行すると聞いたから、なんてヨタをたまに人に話したことがあるけど、たぶんあとからデッチ上げた理由だ。ゆるしてほしい。

魚のことなんて何も知らなかった。それでもどうにかなった。
朝4時に場内に着くと、まずダンベに入った魚の名前と目方をメモする。これはなんだろ? あ、ホウボウ。マルにヨ? 養殖か。だいたい勘でこなしてたらよく間違えて、そのたびに年下のヤンキーに頭をはたかれた。そのライオン丸みたいな髪型をしたヤンキーが上司だった。
配達はもっとヤバかった。免許こそ持っていたが、マニュアル車、それも2トントラックなんて運転したことがない。危なっかしくてしょうがなかった。助手席で懲りずに何度も怒鳴ってくれたライオン丸は、案外やさしい男だったのかもしれない。

2ヵ月ぐらいして仕事も慣れてきた頃、後輩ができた。
佐野さんという男の人で、年は40ぐらいだっただろうか。町山智浩似のメガネ顔、いつも紫色のTシャツを着て、首に白いタオルを巻いていた。しゃべるとシーシー音がするのは、前歯が欠けているからだ。
佐野さんが入ってきた日はあいにく入国管理局の査察日だった。
なぜか築地の中国人たちは毎回事前に査察情報をキャッチしており、この日もいっせいに休みをとった。なので、普段なら彼らの仕事であるはずの小車での場内配達を、僕らがやらねばならなかった。
「普段はこんなに忙しくないんですよ」すぐやめてほしくないのでそう説明する僕よりもテキパキと佐野さんは発砲スチロールを小車に積み、混雑する場内市場をすいすい引いていく。佐野さんは僕なんかよりもはるかにキャリアのある、築地のジプシー労働者だった。
おかげでライオン丸とのマンツーマンも解消され、佐野さんとの愉快な日々が始まった。

配達トラックでビバリー昼ズを一緒に聴きながらよく笑った。
中央通りから晴海通りへの画期的なショートカット。佐野さんはたくさんの抜け道も教えてくれた。
ある日、両国駅前で佐野さんが突然トラックを停めた。
「ウメちゃん(佐野さんはぼくをそう呼んでいた)、ちょっと待ってて」
佐野さんは露天の野菜売りの婆さんからトマトを買うと、僕に一つくれた。
「ヘタの周りが少し切れてるやつが美味いんだよ」
たしかに美味かった。濃厚だった。

そういえば、佐野さんはどこに住んでたのだろう。
仕事が上がると13時。ちょうどランチライムだ。佐野さんはいろいろなお店に連れてってくれた。新大橋通りを原付で並走したり、銀座の人混みをゴム長靴で歩いたりするのが、少し誇らしかった。
新橋の洋食屋、東銀座のうなぎ、中央通りのハモ――。夏の料理が多いのには、理由がある。
佐野さんが店にいたのは、夏の間だけだったからだ。
そう、佐野さんは2ヶ月間ほどで店をやめてしまった。

築地ではよくあることだ。
そして、やはりよくあることで、佐野さんは場内の別の店に移籍していた。
やっちゃ場(青果市場)の店だ。
やっちゃ場はいつも冷房が効いていて、なによりいい匂いが漂っている。僕はよく無駄に迂回してはやっちゃ場で涼んでいたので、すぐに佐野さんを見つけてしまった。
佐野さんはやっぱり紫のTシャツで、首に白いタオルを巻いていた。
「ウメちゃん、またご飯を食べにいこうよ」
バツが悪そうにするでもなく、佐野さんはそう言ってくれた。だけど、以前のように気軽に顔を合わせる感じでもなく、自然とそんな機会は減った。

ただ、たまに佐野さんから頼まれごとをするようになった。
河岸でマグロを買ってほしい、という。
ゴム前掛けに長靴、つまり河岸(鮮魚市場)の人間である僕は、場内のマグロ専門店にいけば現金でマグロを購入することができるのだ。
佐野さんは僕に毎回、キロ数を告げ、僕は馴染みのマグロ屋で冷凍マグロを小口で買った。
その代わりというわけではないが、佐野さんは僕のためにやっちゃ場で高級果物を安く買ってくれた。
Lサイズなのに激甘のミカン。
「普通のスーパーや果物屋では買えないやつだよ」と佐野さんは言っていた。
あんな美味しいミカン、その後も食べたことがない。段ボールで買って、実家の両親にも送ってあげた。

冬のある朝、配達トラックの停めてある茶屋のそばで、佐野さんが待っていた。
「オレ、築地やめるからさ。ウメちゃん、最後にご飯いこうよ」
約束は夜で、ちゃんとした服を着てこいと言われた。
言われた場所で待っていると、なぜか佐野さんは彼女を連れてきた。奥さんだったのかもしれない。若くてきれいな人だった。
「マグロ、美味しかったです」
彼女に言われてはじめて、これはお礼の会なのだと理解した。
銀座か新橋、ビルの何階かにそのレストランはあった。
テーブルとテーブルの間が離れたゆったりとした空間。白いテーブルクロスの上に置かれた真っ白な皿に、厚みのある肉がちょこんと乗っていた。
佐野さんは、実はアカデミシャンなのだと言った。イギリスに留学していたこともあるという。彼女は図書館で働いているらしい。
なんでそんなことを僕に言うのだろう。
「で、ウメちゃんはこの先、なにするの?」
特にすべきことはなにもなかった。
毎日、築地で選りすぐりの食材に囲まれながら、時間も選択肢もありあまっているように見えた。その贅沢さに気づいてなかった。佐野さんに教えてもらったこともちゃんとメモしておけばよかった。
せめてあのレストランの名前ぐらいは。

佐野さんはいまなにをしているんだろう。
たまにめぼしい大学のホームページを見て、佐野って名字の前歯が欠けた研究者を探すのだけど、見つかったためしがない。

初出:「ROADSIDERS’ weekly」2018年06月20日配信号