2020-08-17

ずっとお待たせしていたウェブ原稿を送信。宿便が出た思い。ウェブだとつい油断してしまっていけない。

伯山先生の会の会場関係者がPCR検査で陽性になったとのこと。本日PCR検査に行くとのこと。インフォメーションの仕方も含めて、先手先手の対応が見事。

つくづく、いま私たちに必要なのはエピクテトスだろうと。

もし航海に都合の悪い天候であるならば、わしらはいらいらしてすわりながら、たえず様子を見ているのだ。
「何風が吹いていますか」
北風だ。それはわしらに、なにかかかわりがあるか。
「いつ西風が吹くでしょうか」
それは西風の気が向いたときだよ、ねえきみ、あるいはアイオロスの気が向いたときだよ。というのは、神はきみを風の管理者としたのではなく、アイオロスをそうしたのだから。そうすると、どういうことになるか。私たちの権内にあるものは、これはもっと善いように手配せねばならないが、他のことは、本来あるように使用せねばならないことになるわけだ。
「それでは、本来あるようにとは、どういうふうにですか」
神が欲するように、ということさ。

語録』はここからが素晴らしい。

「それでは、いま、私だけが首を切られねばならないのですか」

とくる。
皇帝ネロに追放されたアグリッピヌスの話だ。

「元老院では、あなたについて判決中です」と彼に知らせがあった。「運よくいってくれるといいが。しかしもう5時だ」〔この時間に、彼は運動して冷水浴するのが常であった〕。「行って運動をしようじゃないか」。運動を終えたとき、彼のところにだれかがやってきて、「あなたは有罪を宣告されてしまいました」といった。
すると彼はいった。
「追放にか、それとも死刑にか」
「追放に」
「財産はどうかね」
「没収されませんでした」
「ではアリキアまで行ってから、食事をしようじゃないか」
これこそ、心がけるべきことを心がけ、欲してじゃまされたり、避けて避けそこねたりしないように備えたというものだ。わしは死なねばならない。もしいまというのなら、すぐ死のう。もう少し経ってからというのなら、時間だから、いま食事をしよう、それから死のう。どんなふうにって。他人のものを返却する人に似つかわしいようにさ。