2020-11-12

午前中、歌舞伎ましょう用の動画編集。サムネイルまで私がつくっていると言ったら、若いライターが驚いてた。YouTubeの最適解はどんどん変わるので、アナリティクスとにらめっこしながら手元で試していくのがいちばん。もちろんその道のプロに外注したほうが効率よい場合は、そうしますけど。

コーボーを保育園に迎えに行くついでに自転車屋へ。店員にはノープランのテイを装ったが、じつはブログで入荷をチェックしていた人気車種。「ラレーのクロスバイクに10年乗ってたんですけど、壊れちゃって――」と相談したらぜったいこいつを薦めてくるだろうと予想していたら、ビンゴ。もちろん即購入。明日には納車できるという。

「近ごろじゃ力をもつ理由がないというのかい」
「今は、力はお前のためにはいいさ。お前は若いし、インディアンでもない。たぶんデビルズウィードはお前の手中で良いことだろうよ。どうもお前はそれが好きになったようだな。そいつは力強く感じさせてくれるし、わし自身そう感ずる。だがそれでもわしはそれが好きでないんだ」
「なぜだい、ドン・ファン」
「わしはそいつの力を好かんのだ! もはや何の使いみちもない。以前は、わしの恩師が言ったように、力を求める理由があった。驚くようなことをやってのける人たちは、その強さゆえに敬服され、その知識故に恐れられ尊敬されたんだ。わしの恩師が、ずっとずっと昔の本当にあったものすごいわざの話をしてくれた。だが今、わしらインディアンはそういう力をもはや求めてはいないのさ。近ごろじゃ、インディアンは自分自身をマッサージするのにその草を使ってるよ。だが葉と花は別なことに使うんだ。それができものに効くなどと言っとる。それでも彼らはその力を求めはせん。その力は根が土の中へ深く行けば行くほど効き目が強くて取り扱いが危険になる、ちょうど磁石みたいに作用するんだ。四十センチくらいの深さになると――いく人かの奴は見つけたと言われているが――永遠の力、終わりのない力の中心を見つける。昔でも見つけた者はほとんどいないし、今じゃ誰もそんなことはせん。わしは、デビルズ・ウィードの力がわしらインディアンにはもはや必要ないんだということを言ってるんだぞ。少しずつ、興味がなくなってきたんだと思う。だからもう力なぞどうでもいいのさ。わし自身それを求めはせんが、あるとき、わしがお前くらいの年の頃、それがわしの内側でふくらむのを感じたものだ。お前が今日したように感じたさ、それも五百倍以上も強くな。わしはある男をたった一発でなぐり殺したこともある。二十人もの男が寄っても少しも動かせないような大きな石をもち上げたこともある。一度ものすごく高く飛び上がっていちばん高い木のてっぺんの枝をたたき切ったことがあった。だがそれはただそれだけのことにすぎなかった。わしのしたことはすべてインディアンを――インディアンだけだ――驚かせた。それについて何も知らん奴らは信じなかったよ。連中は気の違ったインディアンか、木のてっぺんで何かが動いたのを見ただけなのさ」
 わたしたちは長いこと黙っていた。わたしが何か言わなければならなかった。彼は続けてこう言った。
「だが、アメリカライオンや島や、ただ飛ぶことのできる者になれるということを知っている人がいるときは、また違うんだ。だからわしはもう二度とデビルズウィードは使わんのだ。何のために使う? インディアンを驚かすためにか?」
 彼は寂しそうだった。わたしは深い同情でいっぱいになった。わたしは、たとえそれが決まり文句であっても彼に何か言ってやりたかった。
「ねえドンファン、たぶんそれが知を求める人すべての運命なんだよ」
「たぶんな」彼は静かに言った。

カルロス・カスタネダ『ドン・ファンの教え』