2021-04-05

 『人工地獄』やその他諸論考で、ピショップはコラボレーティブ・アート批判を展開しています。その要諦は多くのコラボレーション型実践においてアーティストが自身の作家性(オーサーシップ――著作者であるという自覚)を手放しているように思われることへの不満です。彼女はアーティストが作家性を放棄することで、コラボレーティブ・アートが社会にとって調和的で心地好いだけの実践になってしまうことを懸念します。そのような社会的芸術実践は批判的有効性を持ち得ないとビショップは考えます。
 ビショップの批判はケスターの芸術観にも向けられます。ケスターを筆頭とするコラボレーティブ・アートの擁護者たちに共通して見られる「作家性に対する道義的嫌悪感」は、鑑賞者に思考を促すラディカルかつ挑発的な芸術実践を絶滅の危機に晒すと彼女は言います。
 ケスターは『アートフォーラム』誌に寄せた短文でビショップに応答しています。彼はビショップの批判には暗黙の前提が存在すると述べます。それは彼女自身の恣意的な美的基準に基づいた参加型アート・プロジェクトとコラボレーション型コミュニティ実践の峻別です。ケスターが見るところ、ビショップは後者を「コラボレーターに自律性を明け渡した芸術実践」として不当に貶めているというのです。
 ケスターの見方では、コラボレーティブ・アートに対するビショップの過小評価は「正統な芸術実践の境界を監視」しようとする欲望に由来します。ゆえにビショップの批判は、アーティストたちが長い時間をかけて打破しようと試みてきた芸術の自律性というモダニズム的観念を再強化する危険性があると警鐘を鳴らします。
 ビショップ=ケスター論争に対して本章にも登場したアーティストのリアム・ギリックや演劇研究者のシャノン・ジャクソンなど多くの論者が私見を述べ、次々と「参戦」しています。かように現代美術における社会的実践をめぐる議論は端緒についたばかりで、たいへん活発なステージにあると言えます。

山本浩貴『現代美術史――欧米、日本、トランスナショナル