2020-03-08

朝イチでとても嬉しいメールが。これで夏ぐらいからの大きな仕事に見通しがついた。気合いを入れねば。

コーボーを散歩に連れ出そうとするも、小雨パラつきUターン。代わりに、畳部屋にプラレールを展開。立体交差にレイアウトしたものの、二つの電車(それぞれ3両編成)を同時に走らせると、どうしてもどこかでぶつかってしまう。どんなかたちのレールを買い足すのが最適解なのだろうか。

原稿の合間を縫って、西井一夫を読み進める。先日の直感はビンゴ。

 かつて病は原因不明の見えないものであり、見えない何かによって引き起こされるから恐怖を生んだ。見えないものとしての病は、だから恐怖を底に持ちながら逆に結核と文学に見られるごときロマンというイメージを生むメタファでもあった。したがって病を治すことは奇跡であり、為政者はしばしば奇跡をおこなうことにおいて帝王たりえた。病を治す医術と自然の災害から人を守り、社会の悪弊を治癒する政治は古来から一対のものであり、政治を語るに医術になぞらえ、医術を語るに政治をもってすることは常態であった。医術も政治(祭事)もともに人間ならざる見えないもの、つまり悪魔と神を相手にするものであったからである。医とは醫から簡略化されており、醫はもともとは毉であり、巫女の巫=病魔祓いする人からきており、のちに酒を薬用に用いたところから土台が西になった。
 ジェンナーの種痘法が明示しているように疱瘡がウイルスによって発病する伝染病であることは二十世紀にいたってはじめて見えたのであり、種痘とはなぜだかわからないがその方法によって疱瘡にかからないというきわめて経験的な奇跡であった。日本においても疱瘡と麻疹は古来主要死病であったからこそ、その罹患は「死と再生」の経験であった。そして一度罹患すれば二度とかからないという病の性格から、疱瘡はまれびととしての幼児から少年への通過儀礼的色彩を持っていた。病は確実に「負の祝祭」であった。
 しかし科学技術時代になり、二十世紀にいたって、ガンやエイズを除いて病のほとんどは見えるようになり、病はイメージを生むメタファではなくなった。医は病原菌を殺し、病の痕跡としての患部を発見し排除する抗生物質と医療機器になってしまった。漢方や打診による、経験と手による人間の術としての医術=仁術に代わって、化学薬品とコンピューターによる科学医療が二十世紀の医術となった。まさしく精神が物化したのである。病が見えるようになったということは一対であった政治も、定かならぬ未来に理念と方向性を指示し先導していく祭事的性格を喪失して、「万全の予測」がもたらす未来の設計図に修正を重ねて破綻だけを繕おうとする官僚的やりくり、失敗しない技術(当節は失敗を隠蔽する技術)という場つなぎテクニックになりはてた。
 こうして精神の物化、技術による記号化の時代に、都市は劇場から博物館となった。

西井一夫『20世紀写真論・終章』