生政治の全面化。あの芸能人が買いだめしてたとか、夜出歩いてたとか、そんな報道でさえ一見くだらないようでいて、確実に効いている。生活のために出勤せねばならない人、店を開けなければならない人、それから新型コロナウイルスに感染してしまった人――は、可能性がある人間も含めてすべて犠牲者であるはずなのに、責め立てられたり、監視し非難しあうように仕向けられている。
じつにスマートな統治戦略だ。端的に言って、恐ろしい。
資本主義は、生産力と労働力に応じた形で、その最初の対象である人間の身体をまず社会化したのでした。社会は個人を、イデオロギーや良心をつうじて管理しただけではありません。身体において、そして身体を通じて、個人を管理したのです。資本主義的な社会において何よりも重要だったのは生-政治(ビオ・ポリティック)でした。生物学的なもの、肉体的なもの、身体的なものが重要だったのです。身体とは生-政治的な現実であり、医学は生-政治的な戦略の一つなのです。
ミシェル・フーコー(訳:中山元)『わたしは花火師です』