2020-08-20

動画編集でモザイク入れ。何年ぶりだろう。いや、ゆうに10年以上経っているのではないか。えーと、クリップを二階建てにして、見せていい部分は加算マスクを切って……っと。
ある箇所にモザイクを入れてほしい、と言われて安請け合いしたが、映像の編集マンでもこうはいかないだろう。ましてや私は一介のライターであり、編集者なのだが。

何年か前、磯部涼と一緒にライター講座をやったことがある。半年ぐらいやったのかな。終了後、生徒の有志たちが同人誌をつくった。テーマは「仕事」だ。私にも寄稿せよというので、当時送った原稿が以下である。

「モザイクで未来が見えなかった頃の話」
九龍ジョー

20代前半、フリーターとニートを行ったり来たりしていた。

あれはバイトだっただろうか? 契約社員だった気もする。当時イケイケだったソフト・オン・デマンドで、デジタルモザイク――通称「デジモ」入れの作業員をしていたことがある。

昼夜二交代制。夜のシフトは22時から翌朝10時まで。画像処理ソフトで1コマずつマスクを切り、男性器にモザイクをかけていくという、ひたすら単調な仕事だ(12時間かけても、映像のタイムライン上では約2分程度しか進まない)。

とにかく眠くなる作業だった。男性器だけではなく、たまに街撮りで映り込んだ通行人や看板を消す、というミッションもあった。
「ちょっとウメヤマ(私の本名)くん! これ文字がチカチカしているだけで、『JR』って丸分かりだから!」
電車にペイントされた「JR」の文字を攻めすぎた(ギリギリまでモザイクを小さくすることを「攻める」と言う)ことで社員に絞られたのもいい思い出だ。

SODグループの一つに、社長が金屏風の前で取材を受けることで有名なAVメーカーがあった。ある夜、私に回ってきたのは、そのメーカーが千葉の某有名牧場で、おそらく無許可で撮影した作品。動物にもモザイクをかけてほしいという。だったら牧場で撮影するなよ、といまなら言いたいところだが、そんなこと露ほども思わなかった当時の私は、言われたことをただ遂行するのみであった。

羊飼いの少年のごとく、毎秒30フレームで動く羊の群れを、ペジェ曲線で囲んでいく。羊が一匹、羊が二匹……あれ? こんなことホントにあったかな。いまとなっては、すべて夢の出来事のようだ。

デジモ作業は目にかなりの負担がかかるため、適度に自主欠勤するようにしていた。すると、ある日、作業員のリーダーから電話がかかってきた。
「なんで会社にこない!?」
たしかに、向こうからすれば無断欠勤である。咄嗟に嘘が口をついて出た。
「手が痛くて、マウスが握れないんです……」
そのまま電話を切られた。30分ほどして、仲良くしていた年下の同僚、まっつんからも電話がかかってきた。
「いま、ウメヤマさん(私の本名)をクビにするかどうか、会議してます」
うーん、解雇はまずい。

攻撃こそ最大の防御。私はすぐさまSODに電話を入れ、私の上司にあたる男を呼び出してもらい、こう告げた。
「就職することになったので辞めます――」
彼氏は意外と優しく「おめでとう」と言い、しかし予想外の質問を続けた。
「……で、どこの会社に決まったの?」
会社? そこまでは考えてなかった。と、畳の上の雑誌が目に入る。
「あ、ブブカに決まりました」
「そうなんだー。よかったね」
気まずい電話を終えると、あらためて『BUBKA』を見た。正式な会社名は「コアマガジン」というらしい。たわむれにホームページを覗いてみる。アルバイト募集をしているじゃないか。

転機。それは思わぬところからくるからこそ、転機なのだろう。

ほぼ自分と似たような年格好の面接官たちを前に、特技をアピールする私。
「映像にモザイクを掛けられます」
「えっ? すごいじゃん。モザイクって業者に頼まなくても掛けられるの?」
「余裕だと思います」
「じゃ、明日から来て」
こうして出版界に足を踏み入れた。2003年夏の出来事。

やっぱりぜんぶ夢だったのかもしれない。ただ、これだけは言える。若いうちに、手に職をつけておくことは大事。

初出:「A.B.ZR