吉田徹『アフター・リベラル 怒りと憎悪の政治』を読んで、こんがらがったリベラル概念を整理。経済史専攻だったのでその貯金でやってきたが、さすがに自前の見取り図が通用しなくなってきたのを感じて。吉田さんとは、何年か前にNHKの「ニッポンのジレンマ」という番組でご一緒したことがあり、とてもフレンドリーな方だったのを覚えている。本もタメになった。
ここでは、思想史が専門のイギリスのマイケル・フリーデンによる整理を借りよう。この整理によれば、リベラリズムは大きく言って歴史的に五つの層(レイヤー)に分けられる。
歴史的に最も古いリベラリズムのレイヤーは、ロックの社会契約論に代表される、王権に対する個人の抵抗権や所有権を守ろうとする潮流から始まる。イギリスでは17世紀の権利憲章、フランスでは18世紀の人権宣言に結実するが、この潮流はその後の権力分立や多数派支配の警戒など、日本でいえば立憲主義的な考えを重視するリベラリズムの源泉となっていく。ここでは、この流れを第一章で定義した「政治リベラリズム」と呼ばう。
ここから派生する二つ目のレイヤーには、商業や取引、貿易の自由を唱えるリベラリズムがある。ブルジョワ・イデオロギーと同一視されることもあるが、イギリスの帝国主義を先導したのは、こうした「リベラルな帝国主義」でもあった。市場を中心とした自由、という考えは新自由主義のような、経済活動や所有権を重視するリベラリズムと親和的である。このレイヤーのことを、第一章と第二章でみた「経済リベラリズム」としておく。
第三のレイヤーには、個人の能力を信じ、それは開花されなければならないという、個人主義を擁護するリベラリズムの系譜がある。第一のリベラリズムが公的権力に対して私的領域を守ることに関心を寄せたのに対して、J・S・ミルに代表されるこのリベラリズムは、個人の能力はその個人によって自由に行使されなければならないとする、外向きのリベラリズムといえるだろう。これを、第五章でみたような「個人主義リベラリズム』とする。
以上のリベラリズムは、20世紀に入って社会主義やコミュニズム、ファシズムとの対立のなかで存在感を高めていった。それらはいずれも個人の私的領域を認めず、私的所有権や商業の自由を否定するものだったからだ。もっとも、戦後になってこうした対立から、リベラリズムは進歩的な概念としての立場を強めていく。
戦後の新たなリベラリズムが作った第四のレイヤーは、社会は人為と人智でもってより良くすることができるという信念へと結実する。これは社会保障や教育の重視、市場の規制などの政策を生む一方、人権が守られる社会を志向する考えにつながっていく。アメリカの文脈でいう「大きな政府」をめざすリベラルの立場に近いが、ここでは「社会リベラリズム」としておく。
最後の第五のリベラリズムのレイヤーは、1960年代に生まれたもので、これが特に民族や宗教、ジェンダー的なマイノリティの権利を擁護し、寛容の精神を説く流れだ。個人のアイデンティティ(それ自体にはいろいろなものがあり得る)を核として、それが尊重されなければならないとするこのリベラリズムは、現代日本で想像される「リベラル」に最も近いかもしれない。第四章と第五章でみたこのリベラリズムを、「寛容リベラリズム」と呼称しておく。