コーボータクボーを自転車に乗せ、それぞれ英語教室と保育園へ。昼過ぎにコーボーのお迎え、夕方にタクボーのお迎え。ペダル漕ぎ漕ぎいったりきたりで1日は終わってしまう。有休をとってはいるが(他の社員もほとんどそう)、オフィスはゆっくり動き出していて、ポツリポツリと入ってくるSlackの通知に、一瞬自分が夢でも見ているのではないかという気分になる。
しかし、これまで見てきたように、フェアチャイルド・セミコンダクターの設立へと勢いをつけたのも、創業者が研究の成果を手にする道を切り拓いたのもアーサー・ロックだった。そして、シリコンバレーの株式重視の文化を発展させたリミテッド・パートナーシップの隠れた力を引き出したのもロックだった。ジェイ・ラストとジャン・ホアニーをフェアチャイルドから引き離し、企業主導のベンチャー・モデルの失敗を早める一因を作ったのもロックだった。
さらに、インテルの従業員持ち株制度の創設について言うならば、おそらくロックが、誰もが株式を手にするべきだと提案したのであり、ロック自身が確実に制度の詳細を設計していた。ロックは1968年8月のある書簡の中で、投資家と従業員の利害を調和させる方法について自らの考えを説明した。インテルは短期間しか同社に所属しない従業員への株式の付与は避け、長期内に働き続ける姿勢を示している全員に提供するべきだとした。「会社に何も貢献せずに、短期間で退職して、大金持ちになっている事例が多すぎる」と、彼は賢明な観察を示している。ロックの思慮深い助言なくして、インテルの従業員持ち株制度は持続不可能であり、シリコンバレーの標準となることはなかっただろう。
ノイスは、トム・ウルフが正しく強調したように、確かに会衆派の牧師の息子であり、孫であった。しかし、ロックも少なくともノイスと同じくらいの情熱で、ヒエラルキーを嫌っていた。ロックは小さな町のいじめられっ子で、ユダヤ人で、身体の安全を脅かされていた少年だった。青年期の彼は軍隊の階段的硬直性を軽蔑した。彼は東海岸の窮屈な会社組織から機会をとらえて、自分自身を解放した。簡潔な事実に基づき、率直に助言する彼は、ノイスと同様に虚勢や気取った態度を見せる相手に厳しかった。
『The Power Law ベンチャーキャピタルが変える世界』セバスチャン・マラビー著/村井浩紀訳
もし、トム・ウルフがノイスではなく、ロックを取り上げて大作を書いていたなら、シリコンバレーの平等主義的な文化は、起業家よりも、むしろ資金提供者のほうに由来すると位置づけたかもしれない。真実はきっとその中間に潜んでいる。