2019-07-07

選挙については以前、大森靖子が言っていた(『超歌手』にも書いてた)とおり、若者ひとりにつき数票持たせていいと思うんだ。政治家たちが若年層におもねるようになったら、ずっと未来を見据えた選挙公約になるはずだよ。ためしに20歳のやつにはボーナスでひとり10票ぐらい持たせてみたらどうだろう。案外、地獄へまっしぐらかもだけど、自分の手を汚さない逃げ切り世代になにもかも決められるよりはマシじゃないか。10票は極端だとしても、世代間人口格差を是正するような一票の重み調整はあってしかるべき。

「いだてん」を一度もリアルタイムで見られていないのは、コーボーの寝かしつけタイムともろ被りしているから。いまだ人見絹枝回をチェックできてないまま日曜が終わってしまう。

ここの日記が一週間続いたので、SNSで告知してみる。まだ試運転みたいな感じだけど。自分でサーバーにWordPressをインストールして、ドメインとって、それっぽく作ってみたはいいが、たまにアクセス不調のときがあるんだよな。「プロフィール」用にウェブで読める原稿を漁ってみたら、HONEYEE.COMの映画レビュー連載、ぜんぶ消えてやんの。あれ、けっこう気に入ってたのに。だからウェブメディアってやつはさ……。手元には残ってるので、毎日一個ずつ貼っていこうかな。とりあえずは『ゴーン・ガール』をどうぞ。

『ゴーン・ガール』(2014)

人によってはそろそろ年末ベストなんて決める時期だと思うが、最後の最後で真打ち登場である。第4コーナーを回った直線、飛び出した本作、ロザムンド・パイク演じるエイミーの圧倒的な末脚! いや、山場は何度もくる。そして、そのたびに差される。振り切られる。もってまわった言い回しで恐縮だが、何を書いてもネタバレになってしまいそうで慎重になっている。とにかく衝撃作、とはこのことだ。原作未読であれば、何も情報を入れずに観ることをオススメする(とくに本作のWikipediaだけは絶対に見てはいけない。現時点ですべてのあらすじが書かれてしまっている……)。

ここでは簡単なイントロダクションのみを記す。全米で600万部以上を売り上げたギリアン・フリンのベストセラー小説をデヴィッド・フィンチャー監督が映画化。ある夫婦の話である。夫ニック・ダン(ベン・アフレック)と妻エイミー・ダン(ロザムンド・パイク)。ニューヨークで雑誌ライターとして活躍し、華やかな生活を謳歌していた二人は、不況のあおりをくらい、いまはニックの故郷・ミズーリ州に住む。結婚5周年の記念日、エイミーが忽然と姿を消す。割れたガラステーブル、キッチンに付着した血痕。強盗か? 誘拐か? はたまた殺人か? テレビやネットを通じて報道が過熱していく中、当初は被害者であったニックにも疑惑の目が向けられていく――。

エイミーの両親が彼女をモデルに描いた人気絵本「アメイジング・エイミー」、アメリカ中西部の小ギレイな邸宅……ボニー刑事(キム・ディケンズ)が感じた事件現場への違和感のごとく、整えられていればいるほどそこに不穏な影を感じてしまう。結婚生活もまた、そういうものだと言えるかもしれない。しかし『ゴーン・ガール』はその先を見せる。秘密はサスペンスの最大の要素だが、その暴露はもはやクライマックスにならないのだ。

リーマン・ショック後のアメリカ社会を覆う不安が、本作の基調低音になっている。輝かしい未来を仰ぎ見る時代は終わった。もはや社会が破綻していることなんて、誰でも知っている。「秘密」などとうにお見通しなのだ。それでも“底の抜けた”足場でうまくやりおおせるしかない。そんな(「衆院総選挙」を控えた我々にもビンビンに響く) バックグラウンドを設計するにあたり、デヴィッド・フィンチャーは過去作品で培ってきた映像、演出、音楽の粋をこれでもかと詰め込んでいる。

「最強で最悪のデートムービー」なんて触れ込みもある。たしかに。そして、ただでさえ夫婦で見るのは憚られる作品なのに、ダン夫妻の職業が揃って「ライター」という設定には、ホント参った。我が家とほぼ一緒だったからだ。映画じゃニックの主戦場は男性ファッション誌、原作だと取材対象は「ポップカルチャー」ときた。いや参った。この設定には原作者で脚本も担当したフリンのキャリアも関係しているだけあって、描写はリアルである。原稿仕事を失ったニックが家でFPS系のテレビゲームをやってるところなんて、もう……。その他、要所要所でダークなユーモアも炸裂。語るべきことはつきないが、これ以上ネタバレを回避しつづけるのも難しいので、最終レースに有り金すべてを賭けて一言。必見である。