立川春吾という落語家について何度か原稿に書いたことがある。たぶん私の著書『メモリースティック』にもその名前は刻まれている。最後はたしか文學界の連載で、彼が勉強会でかけた「親子酒」のことを書いた気がする。それは酒でしくじって師匠に破門を言い渡された一門の兄弟子への惜別のような一席で、だがその兄弟子はしばらくして復帰を許された。その後、落語家を廃業したのは春吾のほうだった。
時まさに芸協の成金ほか、いわゆる二つ目ブームが起こりかけている時期で、立川流でも、談志の『現代落語論』からジャスト50年となるタイミングで立川吉笑が『現在落語論』を上梓し、話題となっていた(って、編集したのは私なのだが)。ここにさらに春吾がいれば、と思わなかったといえば嘘になる。状況はかなりちがっていたはずだ。しかし現実はそうならなかった。春吾は人前から姿を消した。現実は正解だ。
元立川春吾が作家活動を始めているらしい、と耳にしたのはいつだったか。うれしかった。さらに2018年夏、ナツノカモという聞き慣れない名前で、元春吾がコント公演を行うという極秘情報を得た私は、友人経由でチケットを購入し、客席の暗闇に身を潜めた。舞台がまぶしい。すべての演目が彼の心象風景のようでもあり、胸が締めつけられる。これならまた会うことになるだろう。私は彼に声をかけることなく、会場をあとにした。
そして1年後の今日、私はアーツ千代田3331で開催されたナツノカモ・アンソロジーライブ「死神の一人称」のアフタートークに出演した。まちがいなくナツノカモの可能性を感じる実験的試みだったが、同時に、「落語」への信仰告白じみたフォーマットが愛おしくも、もどかしい。湯島の中華料理屋でのスタッフ打ち上げに混ぜてもらう。ずっと話しつづけた。新宿に移動し、カモ、制作のワクサカソウヘイらとゴールデン街〈図書室〉へ。すべてはこれからだ。リブートは果たされた。