2020-03-22

国立能楽堂で「三人の会」。観世流宗家、銕仙会、梅若会それぞれの期待の若手シテ方である坂口貴信、谷本健吾、川口晃平による年に一度の公演だ。かつ、今回は5周年の節目でもある。ただ、状況を鑑みるに中止はやむをえないだろう。勝手に想像した私は、予約を入れていたにもかかわらず、別の用事を組んでしまっていたが、三日前、SNSで開催がアナウンスされた。

所用を早めに切り上げ、国立能楽堂に滑り込むと、『松風』が始まるところ。毎回満席だった見所の入りは6割程度。皆、自主的に間隔をとり、座っている。シテ松風の亡霊は川口晃平。須磨の浦、月下の汐汲みだ。外界の現実を引きずる私の意識には、舞台が月面のクレーターに映る。月を眺めるのではなく、月から見つめている。松の木に懸ける過去の恋への妄執は、いまや平穏な日常への憧憬と化す。

仕舞を挟み、最後はシテを坂口貴信が務める『船弁慶』だった。源義経の逃避行。こちらも月夜である。大物浦にたちこめる不穏な空気。前シテ静御前が一向の無事を祈り、舞を披露する。義経の運命をすでに私たちは知っている。甘美であればあるほど痛切な舞だ。

やがて漕ぎだした船を、暗雲が包み込む。揚幕を半分上げた奥に今度は後シテ平家の怨霊、平知盛が控えている。一度幕が下がり、再びさっと上がると、知盛は早笛に乗って一気呵成と義経に肉薄する。流レ足も挟んだそのスピードは、おもわずこちらがたじろぐほど。
「そのとき義経、少しも騒がず」
静と動のコントラストを、地謡と囃子方が彩る。杉信太朗の激しい笛の音は嵐を呼び、亀井広忠の大鼓の鋭い響きが稲妻を走らせる。ひたすら祈るワキ弁慶を務めるのは宝生欣哉である。

悪霊と化したシテが、黒い影となって何度も何度も押し寄せる。これまで観た『船弁慶』では、このグルーヴに興を感じることができた。だが、いまは息を呑むばかりだ。源義経に、平家の敗将たちに、こそ想いを寄せてきた荒ぶる能の本性を見た気がする。