2020-11-26

朝日新聞社で秘密の撮影。会いたい人にはだいたい会えるようにできている人生。

H そう、たしかに〈マクガフィン〉はひとつの〈手〉だ。仕掛けだ。しかし、これにはおもしろい由来がある。きみも知ってのとおり、ラジャー・ドキプリングという小説家はインドやアフガニスタンの国境で原地人とたたかうイギリスの軍人の話ばかり書いていた。この種の冒険小説では、いつもきまってスパイが砦の地図を盗むことが話のポイントになる。この砦の地図を盗むことを〈マクガフィン〉と言ったんだよ。つまり、冒険小説や活劇の用語で、密書とか重要書類を盗みだすことを言うんだ。それ以上の意味はない。だから、ヘンに理屈っぽいやつが〈マクガフィン〉の内容や真相を解明しようとしたところで、なにもありはしないんだよ。わたし自身はいつもこう考えている――砦の地図とか密書とか書類は物語の人物たちにはたしかに命と同じように貴重なものにちがいない。しかし、ストーリーの語り手としてのわたし個人にとってはなんの意味もないものだ、とね。
ところでこの〈マクガフィン〉という言葉そのものの由来が何なのか。たぶんスコットランド人の名前から来ているんじゃないかと思う。こんなコントがあるんだよ。ふたりの男が汽車のなかでこんな対話をかわした。「棚のうえの荷物はなんだね」とひとりが聞くと、もうひとりが答えるには、「ああ、あれか。あれはマクガフィンさ」。「マクガフィンだって? そりゃ、なんだね」「高地地方でライオンをつかまえる道具だよ」「ライオンだって? 高地地方ににはライオンなんかいないぞ」。すると、相手は「そうか、それじゃ、あれはマクガフィンじゃないな!」と言ったというんだよ。この小話は〈マクガフィン〉というのはじつはなんでもないということを言っているわけだ。
T じつにおもしろいですね。ケッサクなアイデアですね……。まさにそれこそヒッチコック映画の妙味と言えます。
H しかし、そんなわたしのやりかたに慣れてないシナリオライターと仕事をするときには、きまって、〈マクガフィン〉のことでもめるんだよ。相手は〈マクガフィン〉とは何かということにどうしても執着する。なんでもないんだ、とわたしは言うんだよ。

ヒッチコック、トリュフォー『定本 映画術』(山田宏一・蓮実重彦訳)